高い声が出ないガキ
「ガキのころから手癖が悪く」と言うセリフをもじって言えば、「ガキのころから声が低く」て、小学生時代は音楽の教科書に載っている歌をそのままでは歌えなかった。出だしは何とか歌えても、中間で音程が上がっていくと、自発的に1オクターブ下げて歌い、終りに近づいて音程が下がっても、低い声で歌える限りはそのまま歌っていた。しかし、あまりにも低くて声が出なくなると、また、1オクターブ上げて歌い終わるようにしていた。これを脇で聴いている同級生からは「音痴」と呼ばれたので、歌を歌うのは好きでなかった。(特に、繰返し歌わされたフォスターの曲は、その後もしばらく大嫌いだった。)中学生になったらナント!合唱団に引っ張られる
声の低いことに目を付けられ、音楽教師に合唱団に引っ張られた。兄貴も男声合唱団でベースを歌っていて、たまにその演奏を聴くと、男声のハーモニーに魅せられるところがあったので、先生の言うままに練習に出てみた。 ミッションスクールの、それも、「男声合唱」と言うよりは「児童合唱」だし、讃美歌に毛が生えたような曲ばかり歌う練習に嫌気がさして、「公立高校を受ける勉強のため」と言い訳して、合唱団を辞めた。男子高校の合唱団は違ったのでそのままズウーット・・・
念願の公立高校は男子高で、組担任がナント!放送合唱団ではテナーで歌い、演奏会ではソロを歌うと言う音楽教師だったので、クラスから5人ほど合唱団に入った。そして、清水脩や多田武彦の作品を歌うのだから文句は無い。そこで男声合唱のウイルスに感染して、その後も、大学、一般と男声合唱を一生涯歌うことになってしまった。男声馬鹿
1960年代に入団した一般の男声合唱団で、いろいろな合唱曲を歌うことや、海外への演奏旅行が面白く、「合唱馬鹿」で40年近く歌い続けた。その間、会計や海外担当の役職や、副会長も務めた。ただ、合唱団の選曲で歌いたくない曲も歌わなければならなくなると、それが嫌で定年後に合唱団を退団した。歌いたくない曲?
歌いたくない曲とは、歌いたい曲とはどんなものか、これから書いていきたい。以後お見知りおきのほどを、心よりお願い申し上げます。
亭主敬白
Sep. 23, 2019
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